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鬼頭 秀一 |
ちくま新書
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1996/05 |
新書 |
¥ 798 |
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オススメ度
: ◎ |
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日本人の伝統的自然観の上に、人と自然との関係を問い直す |
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自然保護や環境保全への注目が高まっているのは実に喜ばしいことなのですが、どうも現在の世の中を見渡すと、人間の社会と自然の環境、自然の生態系とを全く別のものと考えて、「あちら立てればこちら立たず」という、二者択一の関係で捉えがちなように感じます。これは元々、欧州のキリスト教文明の自然観がそのような性格を持ち、続くアメリカ文明の中で更に強化されたものではあるのですが、ところが、そのような「二者択一」の捉え方では、結局、自然環境を守るためには人間などは滅亡してしまうのが一番だと言うことになりますし、逆に人間社会の発展のためには、自然がなくなるのは避けられない。という話になってしまいます。つまり、そのような「二項対立」の図式で考える限り、人間社会と自然環境との間に、幸福な未来は実現な出来ないんですね。
そうした問題意識から、本書の中で著者の鬼頭先生は、そもそも自然環境と人間社会とを、対立する二つの存在と考えること自体に疑問を投げかけます。そして現在の人間社会と自然環境との間で起きる軋轢は、人間社会の全てが、実は今現在も自然の生態系のサービスからの恵みに支えられ、その基盤の上に成立しているにも関わらず、都市に住む大多数の生活者と自然との繋がり(リンク)が切れ離されて、その繋がり(リンク)が実感できなくなっているところにあるのではないか。と指摘します。(その典型が、「切り身の魚が海で泳いでいると思っていた。」という笑い話なわけです。笑)
そして繋がりが見えなくなった結果、我々には、自分自身の行為や生活が自然環境に与えている影響を感じることが出来なくなり、そのために、自然資源の過度な利用や乱獲、あるいは環境汚染が抑制されないのではないか。それが本書における、我々の現状理解ということになります。
そしてもしそのような問題設定が正しいのであれば、これから人間社会と自然環境との間に、持続的で幸福な関係を作り上げようとする時に、我々にとっての課題はまず、その切れた「繋がり(リンク)」を繋ぎ直す(宗教的&文化的側面と社会的&経済的側面の両面から)ことになります。これが鬼頭先生の主張する「社会的リンク論」の概要で、法的規制のような強制的な手段で自然破壊を抑制しようとするのではなく、人間の社会と自然環境との繋がり/関わりが深まり、人間がその繋がり/関わりをより深く認識することで、やがて自然と人間社会との間に望ましいバランスと関係とが回復されるだろう。と考える訳です。この発想の基盤に、そもそも自然と人間社会とが幸福な関係を保った中で育まれて来た日本文化の伝統があることは、言うまでもありません。
我々はつい、自然保護や環境保全を「どうしたら自然を守れるか。環境を保てるのか。」という技術論や制度論として捉えがちですが、やはり技術論も制度論にも限界があります。そもそも社会を形作る人間の考え方が変わらなければ、技術も活用されませんし、制度も守られないからです。
技術論も制度論もそれだけでは決して、人間社会と自然環境との間に幸福な未来を約束しないわけで、ではそのために私たちは、自然と人間との関係をどのように考えるべきか。言い換えれば、どのような自然保護/環境保全思想を持つべきか。大いに考えさせられました。
『自然保護を問い直す』という書名からは、下手をすると昨今流行の「反温暖化本」の仲間のような印象を抱かれがちだと思いますが、大衆受けを狙ったそのような著作とは全く異なります。(そもそも出版がこちらの方が早いのですし…(^_^;;)
「社会的リンク論」の考え方は、日本独自の環境思想としての“里山”の再発見にも繋がっていますし、西欧のモダニズムの限界を超えて、自然との共生の中に存在する人間社会の実現(再生?)の可能性を指し示してくれるものとして、極めて重要なものでしょう。
正直、決して読みやすい本ではありませんので、「万人にお勧め」と言うわけには行かないかもしれませんが(^_^;;、苦労しても読む価値のある一冊です。 |
( 2006/06
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児玉 浩憲 |
ソフトバンククリエイティブ
サイエンス・アイ新書
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2009/11 |
新書 |
¥ 1,000 |
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■ |
オススメ度
: ◎ |
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21世紀を生きる現代人なら必読。COP10を控えた日本国民への嬉しい贈り物 |
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ボリューム、価格、内容、どれをとっても、これまで生態学や生物多様性という言葉に馴染みのなかった人に、「まずこれを読んでみたら?」と、自信を持って勧められます。もちろん、専門書ではありませんから、専門家が読んで感心するような“深み”はありませんが、広範な内容を分かりやすく、簡潔に、しかもところどころに“トリビア”的な要素も織り交ぜて飽きさせることなく(笑)、イラストもたっぷりの新書にまとめ上げたのは、さすがに新聞社の科学記者としてキャリアを積んだ著者ならではの力量でしょう。
名古屋での生物多様性条約COP10開催も近づいて、生物多様性や生態系・生態学に対する一般の関心も高まりつつあると思いますが、この本以前には、中々、一般向けに、生態学の基礎から始めて現在の我々の喫緊の課題まで、一気に俯瞰させてくれるような書籍は見当たりませんでした。長く待ち望んでいだ一冊が、ようやく上梓されたという感慨を覚えます。
また我々、人類の過去から現在までの暮らしや社会が、野生の生き物同士の繋がりにどのような影響を及ぼしたのかを丁寧に説明しているにとどまらず、逆に我々の暮らしや社会が、現在もまだ、その生き物同士の繋がりに支えられて成り立っているのだという本書の指摘は、非常に重要なものでもあります。単に比喩的表現としてではなく、また宗教的な意味でもなく、一見、自然の生き物などとの関係はなさそうな都会に住む現代の我々の説かつも、遡っていけばその基盤は今も、自然の生き物たちの働きなしには成り立たないからです。この本はそうしたことを気付かせてくれます。
最終章がやや“尻切れトンボ”に終わっている恨みはありますが、そのような視点から現在の世界の生物多様性保全への取り組みや温室効果ガスの削減への努力なども紹介されており、内容はいわゆる「生態学」の範疇にはとどまりません。ジャーナリストならではの視点が活かされていて、この本の際立って優れた部分だと感じます。
生態学や生物多様性に関する基礎知識を持つことは、「環境の世紀」と呼ばれる21世紀を生きる我々にとって、今後、社会生活を営む上で必須のリベラルアーツ(一般教養)となるに違いありません。私は全ての国民に、一度はこの本を読んで欲しいと思います。真に持続可能な社会づくりは、そのような努力から始まるだろうと思うからです。 |
( 2009/12
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毎日新聞科学環境部 |
岩波ジュニア新書
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2005/04 |
新書 |
¥ 819 |
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■ |
オススメ度
: ◎ |
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野生生物と人間社会との新しい関係を模索する、貴重な事例集 |
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野生生物と人間社会との新しい関係を模索する、貴重な事例集です。「ジュニア新書」だから中学生程度の子供に向けた内容かと思うと、とんでもない。毎日新聞に2003年5月から2004年12月まで掲載された同名の連載記事をベースにしているだけに、「中学生程度でも十分に読んで理解できる文章」ではありながら、この本の価値を正しく認識できるのは、むしろ年齢を重ねた40代以上の人間なのではないでしょうか。
この本を読めば、今、我々が住む日本列島の上で、人間社会と野生動物との間にどんな問題が起こり、どんな関係が失われ、またはどんな関係が新たに作り上げられつつあるのか、良く分かります。日本全国の“現場”を実際に取材した努力の成果が集められた、格好の事例集です。
いたずらに“絶滅の危機”などを煽ることもなく、声高に“環境問題のウソ”を言い立てるポーズも取らず、それぞれのケースに対して是々非々の立場で、問題点を冷静に整理して行く取材姿勢に好感が持てます。誰にでも読める平易な文章の向う側に、環境や野生生物の問題を取り上げる際にありがちな扇情的な報道とは距離を置く、真摯なジャーナリストの後ろ姿が見えるのです。
取り上げられている生き物はメダカからツキノワグマまでと幅広く、全部で38章。山、里、海、都会、農村、etc…と、取材の地域にも偏りがありません。人の社会と野生動物との間に繰り広げられている、不思議で魅力的な関係の物語を面白く読み進むうちに、野生生物と人間社会との間に起きる問題が、決して“田舎”や“山村”だけの問題ではないことにも気付くことでしょう。ツバメやスズメなど、身近で良く知っているはずの生き物の、実は意外に知られていない興味深い生態についても学ぶことが出来るのは、大きな魅力の一つです。
この本は、「子供の頃には身近に色々な生き物がいたのに、最近ではすっかり目にしなくなったなあ…。」と思う大人たちにこそ、是非読んでもらいたいと思います。そしてまず大人たちが読み終えたら、次には自分の子供たちにも読ませてあげて欲しいのです。そうした努力の積み重ねがやがて、子供たちの世代において、野生生物と人間社会との間に、今より少しだけ幸福な関係を実現することに繋がることだろうと思うからです。 |
( 2008/07
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瀧澤 美奈子 |
文春新書
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2009/02 |
新書 |
¥ 788 |
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■ |
オススメ度 : ◎ |
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敢えて流行の“温暖化の真偽”を問わず、「その先」や「その周辺」を論じた良心の書 |
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細かなデータの出典や論拠等は(おそらく意図的に)省略されていますので、未だに“温暖化の真偽”を議論したい向きには、全く物足りないと感じられる内容でしょう。しかしこの本の意図は、むしろ“温暖化の真偽”のような枝葉末節へのこだわりを乗り越えるところにあります。そのために著者は、地球温暖化(気候変動)に関する様々な問題や対策に関して、現時点での「主流の仮説」を中心に、丁寧に、分かり易く説明すると共に、その反対意見までを幅広く紹介していますので、一度でもこの本を読んでおけば、地球温暖化(気候変動)やその対策に関して、俯瞰の視点から、“全体の見取り図”を描けるようになるでしょう。
いわゆる“反温暖化論”も一通り紹介していますから、一度でもこの本を読んでおけば、センセーショナリズムを狙った「反温暖化本」に惑わされることも減るはずです。また逆に、「マイバック・マイ箸」や「チーム−6%」などの事例も取り上げて批判的な評価も行なっていますので、安易な“エコ・ミーハー”にとっても“苦い良薬”になるでしょう。単に読みやすいだけでなく、俯瞰的で中立的なスタンスやサイズ、ボリューム、価格も含めて、様々な意味で地球温暖化(気候変動)問題の入門書として最適であると言えます。
そしてこの本の何より優れているところは、“著者としての一つの結論”を安易に押し付けないところにあります。実に歯切れが悪く、読後の爽快感もないのですが(苦笑)、地球温暖化(気候変動)のような複雑な問題に対しては、むしろそのような態度こそが真摯なのです。例えば武田邦彦や池田清彦のように、人の目を引く安易な“結論”をポンポンと並べてしまえば、「何か分かりやすい結論を与えて欲しい。」と願う大衆の欲望は満足させられますし、事実、今大いに売れている本はそのような“温暖化懐疑論”の本なのですけれども、現在の我々に必要な態度がそんなものでないことは、今さら言うまでもありません。むしろ我々は、結論を出せず、断定もできない居心地の悪さに耐えながら、それでも現在の自分の責任で判断を下し、自分の意思で将来を選び取ることを求められているのです。
私たちが今、そのような立場に立たされている事を、この本は教えてくれます。出来るだけ多くの人に読んで欲しいと思う所以です。 |
( 2009/04
) |
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松井 正文 |
小学館101新書
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2009/12 |
新書 |
¥ 777 |
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■ |
オススメ度 : ○ |
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社会人として、もはや必要不可欠な知識 |
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本書を通読して、まずしみじみと感じたのは「人間の愚かさ」です。
第3章の章題がそのまま、「人間が招いた外来種問題」とされていますが、そもそも「外来種」とは(意図的であれ偶然であれ、直接的であれ間接的であれ)本来の生息地以外へと人為的に移入させられた生き物なのですから、あらゆる外来種問題は全て、人間が自ら招いたものなのに他なりません。本書では33の外来種を取り上げて、移入の経緯や問題点、対策の現状や今後の課題等を紹介していますが、それはつまり、33パターンの「人間の愚かさ」の陳列でもあるのです。
それにしても外来種移入に掛かるコストに比べて、その駆除や本来の生態系回復に必要なコスト(人的・時間的・経済的)の、なんと莫大なことか。(しかも明治以来の移入外来種が惹起した問題で、完全に解決されたものは未だに一つとてないのです!)
かくて、過去の少数の愚か者の金儲けや、あるいはほんの小さな気まぐれが、時間を経て未来にわたる人類共通の財産を脅かし、やがてその後始末のために国民全体の税金や時間が大量に費やされることになります。それは現時点では我々の共有の未来を守るために必要不可欠であり、むしろ今後より積極的に支出すべきコストではあるのですが、その実大半は、何十年か前の愚か者の小さな行為さえなければ、本来必要なかったはずのもの。そう考えると、この愚かな“マッチポンプ”は、あまりにも空しいものではないでしょうか…。
そして今、過去の愚か者の所業の結末を知る以上、現在の私たちが将来の子孫たちから「愚か者」の誹りを免れるためには、素直に過去の行為に学ぶしかないでしょう。一般向けに書かれた本書には、専門家が見れば物足りない部分もあるのでしょうけれども、実際に外来種問題を引き起す“犯人”の大半は何も知らない一般人なのですから、今、専門家の方々により強く求められることは、同じ専門家同士の知識を高め合うことだけではありません。むしろ知識の足りない我々のような一般人に対する啓蒙や啓発にこそ、力を注くべきだといえるでしょう。その意味で、本書の上梓は実に意義深いものです。
本書の内容であれば、中学生か、あるいは小学校の高学年でも十分に理解できるはずです。こうした書籍が学校教育の中でも活用されて、やがてこの列島の上に住む人間たち全ての一般教養として普及することを望みたいと思います。
況や社会人をや。必読の書です。 |
( 2010/01
) |
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高橋 敬一 |
祥伝社新書
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2009/03 |
新書 |
¥ 798 |
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■ |
オススメ度
: △ |
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著者の主張に共感はするものの、ややバランスを欠いている |
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私は5年ほど前から環境教育関連NPOなどに参加して、環境保全活動の現場に立つことも増えているのですが、「自然との共生」を謳い文句にする現在の自然保護運動の多くを、「自己中心的な利己的欲望」と断罪する著者の主張には、深い共感を覚えます。特に「他人に自分の自然観を押し付け、自分に不都合な悪い変化はすべて糾弾しようとする」などの言葉は、保護・保全の現場でしばしば見つかる、近視眼的な“環境保護原理主義の皆さん”に、是非一度聞かせてやりたいと思うくらいです(^_^;;。自然保護・保全に関わる人は(私自身も含めて)、一度はこの本を読んで、自らのある種の“上から目線”を反省した方が良いんじゃないでしょうか。
しかしこの本には重大な欠点がいくつかあって、その一つは、著者の主張を裏付けるエビデンスとしての事例紹介がほとんどないことです。著者の主張が決して的外れなものばかりだとは思わないのですが、その一方、自分が経験した少数の事例を全体に引き伸ばして、「そもそも○○なんてものは…」と主観的な批判をするのであれば、そんなものは酔っ払いの愚痴と変わりません。他者批判をするのであれば、まず自分自身に厳しくなくては。感情的な反論に対抗するには、まず客観的なエビデンスを提示することを怠ってはいけないと思うのです。
そしてもう一つ、更に大きな欠点は、自己愛の発露としての自然保護活動を否定したいという思いが強すぎるあまり(?)、本書が読者を、自然保護思想そのものや自然保護活動全体の否定へと導きかねないことです。私が感じるには、著者本来の主張は、「環境破壊(改変)は人間の本能に基づく行動であり、環境保護活動すら、その人の利己的活動に過ぎない。」ということを十分に認識した上で、「自然保護活動の意義や、あり方を問い直せ。」という辺りなのだろうと推察するのですが、本書を読んだ多くの読者はむしろ、「自然保護なんて無意味だ。どんどん自然破壊して良いのだ。」と感じてしまうことでしょう。もちろん、私には著者の本意は分からないのですが、そのように読んでしまうと、折角の本書も、最近流行りの「○○のウソ」本の類に思われてしまいます。
(当然、本書のタイトルを『「自然との共生」というウソ』にした点には、武田邦彦などの「○○のウソ」本のヒットにあやかろうとした意図が見えますから、その点ではもちろん、著者が批判されても仕方がないのも事実なのですが…。)
著者の主張には共感しつつも、これらの欠点を考えると、私としてはとても、気軽に他人に薦めることは出来ません。環境問題や保護・保全活動に関するリテラシーが高く、かつ公平で自由な考え方のできる方にのみ、お勧めしたいと思います。 |
( 2009/08
) |
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槌田 敦 |
宝島社新書
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2007/06 |
新書 |
¥ 756 |
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■ |
オススメ度
: × |
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本来、既に「歴史的文書」として忘れ去られる「べき」本 |
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挑発的でキャッチーなタイトルの割には、内容のほとんどは、いわば“当たり前”で、普通の主張。取り立てて目新しいところはありません。それも当然で、そもそも、最初の出版(1992年)は15年以上も前の本なのです。当時としては新しい視点や、有益な部分もあったのでしょうけれども、残念ながら(?)、少なくとも現時点で真面目に環境保全に取り組んでいる人々は既に、この著者が設定した問題意識の“向こう側”で苦闘を始めています。ですから、新書化するに当たっての書名は正しくは、『環境保護運動はどこが間違っているのか?』ではなく、『どこが間違っていたのか?』とすべきだったではないしょうか。
「CO2による地球温暖化否定説」等の、いくつかの点を除けば、「何でもリサイクルすれば良いというものではない。」とか、「科学技術で環境問題は解決しない。」とか、著者の主張は極めて常識的な範囲にとどまります。従って賛同できる点も多いのですけれども、この本の大きな欠点は、特に前半、善意の人間の発言や行動を否定するところから文章が始まるので、読んでいて何とも不愉快な気持ちになってしまう点です。わざと挑発的な書き方にすることで、読者の興味を引こうとしているのだろうと思うのですが、読者からの“ウケ”を狙ったパフォーマンスは、いかにも見苦しく感じます。
ただ、気をつけなければならないのは、本来は、著者自身が「まえがき」に書いているように、「歴史的文書としての価値しかない」はずのこの本を、何かとんでもなく新しく、素晴らしいもののように感じてしまう人が、現在の世の中にはまだまだ沢山いるということです。それだけ、環境問題に真剣に取り組んでいる人々は、今の世の中から“浮世離れ”してしまっている。そういう部分への反省を込めて、読んでいただければ良いと思います。 |
( 2009/04
) |
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長谷川 伸介 |
幻冬舎ルネッサンス新書
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2009/10 |
新書 |
¥ 880 |
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■ |
オススメ度
: ×× |
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あまりにも出来の悪い“まがいもの” |
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「エコが地球を滅ぼす」という書名と、「こんなに簡単に環境破壊は止められる。」という、帯のアオリ文とのギャップが気になって購入したのですが、読み始めて5分ばかりで失敗を確信しました(苦笑)。
まず「はじめに」を読んだだけでも、言葉の定義や使い方がずいぶん乱暴で無頓着。「文章を書くという行為に対する態度がいい加減な著者だなあ…。」と、不安を感じたのですが、第一章の本文5行目でいきなり「波動」が出て来たのには、正直、参りました(苦笑)。「波動」という物理用語を用いながら、その言葉の定義を恣意的に差し替えて行くことで、自らの妄想(か、せいぜい仮説)に過ぎない事柄を、あたかも既に証明された事実であるかのように語って行くのは、これは“似非科学”の典型的な手法だからです。
それでも「せっかくお金を出して買ったんだし…。」と、何とか我慢して読み続けようとは思ったのですが、使われている言葉の用法や定義が、一つ一つ余りにも恣意的、かつ適当(いい加減)で、批判的に読むことにすら疲れてしまい、ついに耐え切れず、20ページまで、第一章を読み終えたところで放り出してしまいました。ですから結局、最後まで読んでいないのですけれども、正直、こんなことは私も初めてです(苦笑)。
はっきり言いますが、これは科学でもなければ哲学でもなく、宗教ですらありません。それらの用語を適当に捏ね混ぜて一塊りにして作りあげられた、しかもかなり出来の悪い“まがいもの”。読むだけでも目が汚れるように感じます。
「こんな本でも題名に『エコ』とつければ1,000円近い値段で売ることが出来るのか。」と思うと、出版した版元に文句の一つも言ってやりたくなるのですが、それよりもまず、タイトルと帯に騙された自分が情けなくて仕方がありません(苦笑)。「せめて10ページ立ち読みして、内容を確かめれば良かった。」と思いますが、賢明なる読書子の皆様には、「決して手を出すな。」とご忠告申し上げたいと思います。
なお、その後確認しましたら、この「幻冬社ネルサンス」というのは、自費出版の専門会社のようです。通常の出版物と同列に並べられていましたので、出版社/編集者によるそれなりのチェックを経た上での書籍かと思っていたのですが、そうではないことが分かりました。つくづく情けないと思います。 |
( 2009/11
) |
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鷲谷 いづみ |
岩波ブックレット 785
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2010/06 |
21.2 x 15.1 x 0.8 cm |
¥ 630 |
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■ |
オススメ度 : ○ |
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コンパクトな概説書。掘り下げはやや浅い。むしろ「復習」にこそ有益。 |
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生態学の基本から最近話題のグリーンウォッシュまで、広範で複雑な生物多様性保全に関連する話題を網羅して、わずか60ページのボリュームにまとめたことは、賞賛に値します。さすがは「保全生態学の第一人者」と呼ばれる著者ですね。
ただこれが本当に「入門」かと言うと、その網羅性ゆえに却って疑問符もつきます。この本を読んで全くの初学者が生物多様性の大切さを実感できたり、その保全を“我がこと”として感じるようになるかというと、難しいでしょう。一つ一つのテーマの掘り下げが浅いものにならざるを得ないためですが、むしろ何か一つを取り上げて、その奥深さを見せる部分があったほうが、初学者にとっては魅力的だったような気がします。(ただしそういう構成にした場合には、とてもこのボリュームには収まらなかったでしょう。)
私にはこの本は、歴史の教科書の巻末についてくる年表のように感じられました(^_^;;。全体像を把握するためには非常に役立つ。しかし年表を読むだけでは歴史を学んだことにはならず、むしろある程度学んだ人間の復習にこそ有益。この本も、そのような存在なのだと思うのです。
なお、話の本筋からは少し外れますが、私の印象に非常に強く残った部分がありましたので、引用・ご紹介しておきます。
著者は日本の若い世代が自然とふれあう機会が減り、学校教育でも自然史が軽視されてきた現状を踏まえて、
> そのため、生物多様性を具体的に認識し、また、適応戦略を読み解く眼力を備えた人材が少ない。
と書きます。
> それは、日本社会が抱えているさまざまな「能力」喪失の中でも、もっとも深刻な問題の一つではないか
と指摘した部分は、本書中で最も、私が共感した部分でした。そしてその少し後の、
> 昨今、地球温暖化や外来種問題に関して、必ずしも十分な専門的知識を持たない「専門家」の危機の否定・軽視の発言がもてはやされる傾向がある。
> 人々がそれらに同調しがちなのは、まひした心に、それらが心地よく響くからだろう。
という指摘と共に、是非、心にとどめておきたいと思いました。。 |
( 20010/07 ) |
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河合 雅雄
林 良博 |
PHPサイエンス・ワールド新書
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2009/10 |
新書 |
¥ 924 |
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■ |
オススメ度 : ○ |
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類書とは一味異なるユニークな視点が面白い! |
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いわゆる「野生生物問題」の事例集としてのみで見るのであれば、上にも紹介している岩波ジュニア新書の『生きものたちのシグナル 』など、他にも類書は多くあります。それに比べると本書の事例は山林のサル、シカ、クマ、イノシシ、それに外来のアライグマとヌートリアだけですから、むしろ広がりには欠けています。(ただし各々の分析が詳細ですから、非常に勉強にはなります。)
しかし本書の最大の価値は、これらの野生生物の問題を、単に現在の我が国の自然環境や社会の問題として取り扱うのではなくて、縄文時代に遡る我が国の生活文化の歴史的な流れの中に位置づけて、改めてその意味を問い直し、さらに野生動物を中心に考えるよりもむしろ、その野生動物に相対する地域住民の心的内面へと踏み込んで考察してゆくところではないでしょうか。通常、野生生物問題に関しては、自然科学系のアプローチが中心になって、社会学的な視点が重ねられて語られることが多いと思うのですが、本書では特に、野生生物に相対する人間の側の文化や心理を掘り下げて行くことで、この問題を我が国の文化の問題として、より一段深いところに位置づけようとしているように感じられます。著者の河合雅雄さんは、京大人文研を中心に日本の霊長類学をリードし、独自の「今西進化論」を唱えた今西錦司さんのお弟子さんですが、野生生物を入り口に、むしろ人の心や文化の問題に迫って行こうとするのは、さすが京大霊長研の伝統が生きているところだな。という感じもします(笑)。
本書の中で、いわゆる「里山」を「人と動物との緩衝地帯」と捉えるのではなく、むしろ「入会地(=人と野生動物とが共有して利用する場所)」と位置づける発想は欧米にはないもので、我が国独自の価値観・自然観に基づいた、新しいワイルドライフ・マネジメント理論への可能性を感じさせてくれます。「獣害を契機に地域に活力がよみがえった」という事例が増えることを期待すると書く本書は、単に野生生物の問題が起きる「原因」が複雑で、多様であることを教えてくれるだけではないのです。その「解決」のあり方もまた実に多様で、様々な可能性があることを示唆してくれます。極めてユニークで、また有益な本だと思います。 |
( 20010/04 ) |
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根本 正之 |
岩波ジュニア新書
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2010/05 |
新書 |
¥ 819 |
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■ |
オススメ度 : ○ |
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むしろ大人むけ。生物多様性保全に新しい道を指し示す! |
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植物生態学を専門とする著者の主張は納得性が高く、非常に勉強になります。一言で「生物」といっても、動物と植物とでは生きるための仕組みや競争のルールが違う。だから同じ「生物多様性保全」といっても、動物における多様性と植物における多様性とは、その意味や保全手法のあり方も異なるのです。ところがついつい、私たちは、動物のケースを念頭に置いて「生物多様性保全」を語ることが多いのではないでしょうか。それではつまり、本当の意味の「生物多様性保全」にはならない。片手落ちであることに私は気づきました。
しかし一方、この本が果たして「ジュニア新書」として、中高校生程度の初学者向けかと言うと、そこにはまた大きな疑問があります。むしろ「応用編」なのではないかと、私には感じられてなりませんでした。
例えば、「メヒシバはC4植物で…」などという、生物関係の専門を専攻していなければ、学部学生でも理解しているかどうか怪しい(?)言葉が説明なしに使われるのはまだ許容するとしても(←いや、この本を読む場合、それくらいは許容範囲なのです。(^_^;;)、例えば著者は、「新しくつくられた半自然も捨てたものではない」と書き、僅か数ページ後に、「堤防やゴルフ場内であっても、一度、タネを撒いたり植えつけたりすることで…(中略)…それが定着してくれるなら問題ないと思います。」などと書いてしまいます。するとそこだけ読めば、それこそ、著者自身が指摘しているように、「野の花を植え込んで花壇さえつくれば、都市の中に生物多様性に富んだ自然が出現した、と思いたくなる日本人の自然観」を、助長することになりかねませんよね。
もちろん、本書をきちんと読めば、著者が「花壇で良い」などと考えていないのは明らかになります。しかし他にもところどころに(学問的に正確であろうとするが故でしょうか?)例えば農薬の説明箇所や帰化植物の説明箇所などにも、初学者には真意が伝わりにくいだろうと感じたり、場合によっては曲解されかねないと思う部分が散見されました。
とは言え、日本人特有の視野の狭い自然観から惹起される我が国の現在の生物多様性保全活動の問題点の指摘などは、まさに正鵠を射たものだと感じますし、既にかつての水田を中心とした農村の生活には戻れない現代の我々が、これからの日本の新しい生物多様性保全を考えるに際しては、間違いなく有益な提案に満ちてもいます。「ジュニア新書」ではあるのですが、「中高校生向けだろう?」などと馬鹿にせずに、ある程度まで生物多様性保全にリテラシーのある大人こそ読むべきだし、むしろそういう人にこそ、役立つのではないかと思います。ボランティアなどで活動している人には是非読んで欲しい。私はそう感じました。 |
( 20010/06 ) |
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足立 直樹 |
ワニブックスPLUS新書
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2010/02 |
新書 |
¥ 840 |
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■ |
オススメ度 : ○ |
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地球環境問題が、実は自分自身の暮らしに密着した生活問題であることを知るために |
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書名だけを見ると、正直、ちょっと手を出しにくいように感じられると思うのでいすが(^_^;;、まずはとにかく本書の序章、『2025年、最悪のシナリオ』だけでも読んでみて下さい。そこに描かれた近未来(2025年)の日本社会の姿に接して、「こんな馬鹿な!」と笑うか、「この程度なら、まだ“まし”。」と感じるかで、あなたの環境リテラシーが分かることでしょう。(ちなみに、私自身では、「この程度なら、まだ“まし”。」と感じましたが…(^_^;;)。
「地球環境問題」と言ってしまうと、日本の国民の多くはまだどこか他人事で、自分の日々の生活とは直接の関係はないかのように感じています。ところがほんの15年ばかり未来を想像するだけで、それは私たちの暮らしに密着した、「生活問題」に他ならなくなるのです。この本はまず何よりもそのことを訴えています。
つまり本書の最大の特徴であり、また優れた部分は、「序章」に象徴的なように、地球環境問題という現在の我々には直接は分かりにくい問題を、徹底的に我々の生活の問題へと引き寄せて考えようとする姿勢にあります。地球環境問題の現状報告や対応策の事例紹介などであれば、類書は他にも数多ありますが、もし我々が真剣に地球環境問題に相対そうとするならば、大切なのは知識の「量」ではありません。むしろそれらが今の自分の日常とどのように結びつき、どのように影響を与えているのか、また与えられているのか、その想像力を働かせることが何よりも重要なのですから、本書を通じて著者が一番に訴えたかったのは、まずそのことだったのでしょう。
従って本書を読んで、地球環境問題に関する「知識」を得ようとするのは、“間違い”とは言わないまでも、“十分な読み方”とは言えません。むしろ読者は本書を通じて、地球環境問題を自分自身の問題として考えるようになる。その実践のための契機とすべき本だと思います。
ただし、『あなたの欲望が地球を滅ぼす』という書名は正直、下品で、本書の内容に相応しくありません。大衆受けを狙った、昨今流行りの安易な警告本や、あるいは例の武田何某などのゴシップ本(苦笑)と同じ仲間に誤解されてしまう可能性が高いように思います。実際の内容はすこぶる真面目で、また分かりやすい本でもあるのに、ある種の過激さを狙ったに違いない書名は、良識ある人々から本書を遠ざける最大の欠点になってしまった。そんな風に私は感じます。 |
( 20010/03 ) |
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朝日新聞特別取材班 |
朝日新書
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2010/03 |
新書 |
¥ 735 |
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仕事中などについうっかり、「環境問題に関心がある」などと発言すると、いまだに、「お金儲けに興味のない、良い人」のように思われることがあります。我が国ではビジネスの第一線で活躍している人にも、今の世界で環境対応こそが最もHOTで最も激しいビジネス上の競争テーマだということが、十分に理解されていないのです。
また「日本の環境対応技術は大変優れていて、今も世界トップレベルの環境先進国だ。」と誤解している人は、これもまた意外なほど沢山います。彼らはかつて、我が国が環境先進国だった時代の記憶のまま、この10年ばかり呑気に惰眠をむさぼってしまつた、童話のウサギなのでしょう。
本書はそのような、善良にして愚鈍な“ウサギ”たちに衝撃を与える、世界と日本との環境対応の実態を取材したレポートです。環境対応を人々の善意や倫理、おるいはイデオロギーの問題に過ぎないと勘違いしている人は、世界のあちこちで既に、本書が「戦争」と名づけた激しく、厳しい競争が始まっていることを知って、少し焦った方が良いでしょう。これからの世界では、環境対応こそがICTの発展以上に根本的に、経済や社会のルールを変えて行くのだし、もしこれ以上、その変化に立ち遅れてしまえば、我が国は政治面だけでなく経済面においても、再び二流国家・三流国家になり下がってしまう。既に世界は、そうした方向に動き始めているのです。
日本が21世紀にも経済大国として世界に存在感を示し、国内においても現在の豊かな社会を守りたいと考えるのならば、我々にはもはや「環境保全か経済発展か」などという、呑気なテーマ設定で悩んでいる余裕はありません。民主党政権誕生の半年後というタイミングで上梓された本書が、政権交代の是非に揺れて、より本質的な時代の変化を見逃しがちになっている我が国の人々の目を覚ます、飛び切りけたたましい目覚まし時計となることを祈りたいと思います。 |
( 20010/06 ) |
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井田 徹治 |
岩波新書
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2010/06 |
新書 |
¥ 756 |
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オススメ度 : ◎ |
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「なぜ生物多様性保全が必要なの?」という素直な疑問に答える良書 |
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生物多様性を扱う類書の多くが「生態系とは何か」という生態学的な説明に注力するのに対して、本書の最大の特徴は、そうした解説を飛び越えていきなり、「生態系サービスの経済的価値」から話を始めるところにある。ところが、そもそも生き物への関心が薄く、最近になってようやく「生物多様性」という言葉を知ったような人たちには、生態学的な解説などは、むしろ退屈な“お勉強”に過ぎないのである。それよりも、生物多様性と経済との関係や、生態系と人間社会との関係を中心に論じていく本書こそ、「なぜ生物多様性保全が必要なのか?」という彼らの素朴な疑問に答えるものであり、今まで関心のなかった人にとって最も「腑に落ちる」回答を与えてくれるものだろう。
そしてそれは逆に、今まで「生物多様性の大切さが理解されない。」と嘆いていた「生き物好き・自然好き」の人々にとっても、周囲の“一般人”との間に会話を繋ぐ架け橋になるはずだ。生物多様性保全を一部の専門家や愛好家たちの関心事に終わらせることなく、我々の社会が全員で取り組むべきテーマとして浸透させていくためには、本書のような存在が絶対に必要なのである。
本書は是非、「生物多様性なんか自分には関係ない。」と思い込んでいるビジネスマン諸氏にこそ、読んでいただきたい。本書を読めば、生物多様性や生態系サービスの維持・保全こそが、実はCO2削減/気候変動対策以上に直接的に、我々の経済や社会に、そしてご自分のビジネスに、影響を与えて行くことが想像できるだろう。
名古屋でのCBD-COP10の開催を控えて、今の社会に最も必要な良書が、岩波新書という誰にでも入手しやすい形で上梓されたことは、この上ない幸せだ。ソフトバンクサイエンス・アイ新書の『生態系のふしぎ』と共に、出来るだけ多くの人の書棚に、一人前の社会人が弁えておくべき一般教養を身につけるための参考書として、本書が並ぶことを願う。
書名から生物多様性に関する生態学的な解説を求める者には、その期待に反する内容に感じられる部分があるかもしれないが、実は「生物多様性保全」は既に、生態学(保全生態学)の範疇を超えた、政治的・経済的・社会的課題なのである。本書はそうした立場から「生物多様性」を解説した、間違いなく良書ではあるが、その点では唯一、書名を「生物多様性保全とは何か」とすべきだったかもしれない。 |
( 20010/06 ) |
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花里 孝幸 |
新潮選書
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2009/05 |
19 x 13 x 1.8 cm |
¥1,050 |
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オススメ度 : ○ |
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ヤワなのはむしろ人類なのである。だからこそ我々は、生態系を守らねばならない。 |
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書名こそ挑発的だが内容は穏健で正統派。この書名からはまるで、「自然の営みに対しては、人間活動などは影響を与えないのだ!」とでも主張されそうだが、そんな心配(?)はいらない。
途中で脱線する「日本人論」にはやや乱暴なところがあり(笑)、また、里山や水田の生物多様性への評価には異論を唱える向きもあろうが、著者の専門の生態学に基づいた生物多様性保全の考え方は、基本的には、生態学を知る大多数の人間が同意出来るものだろう。「生態系は人類のため」というのも、一部のディープ・エコロジストなどを除けば、現在の主流の考え方である。(ただそれだけに、既にある程度、生態学を学んだ人には、この本では新しい発見は少ないかもしれない。その点は残念だ。)
しかしより大きな問題は、生態学的に見れば「当たり前」で「当然」なことが、世の中全般にはまだまだ理解されていないことで、(だからこそ書名や章題などを、実際の内容以上に挑発的にする必要があったのだろう。)本来はこのような書籍は、より多くの人が手に取りやすいよう、新書本などで出版して欲しかった。
名古屋のCBD-COP10を控え、生物多様性への社会的関心も高まっているが、生態系にも生物多様性保全にも誤解が多いのは、本書の副題の通りである。ぜひ多くの人に本書のような優れた案内書を読んでもらい、正しい認識が広がることを期待する。著者が「生態系保全は人類が生態系からはじき出されないようにすること」と書いた意味を、社会の人々全般が理解している世の中になることを願う。 |
( 20010/03 ) |
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