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素人の素人による素人のための八重山民謡ガイド[6]

無蔵念仏節・無蔵念仏口説
(んぞーにんぶつぃぶし・んぞーにんぶつぃくどち)

2004.05.04 UP

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実際に先生に習っているわけでもありませんし、沢山の本を読んだわけでもないので、
本来、とても他人様に八重山民謡を解説できるほどの知識は持たない私ですが、
もちろん私よりももっと知らない人もいるわけで、そういう方のために、
私が知っている限りの知識で八重山民謡の紹介をします。
これから八重山民謡を聞いてみようという時に、少しは参考にしてもらえるとありがたいです。

でも所詮素人の聞きかじりなので、かなりの間違いや思い違いがあると思いますが、
そんな時は堪忍して下さいね。

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沖縄のお盆と言うと、大小の太鼓を使った、勇壮な「エイサー」を思い出す人も多いと思います。しかしエイサーが盛んなのは沖縄の中でも特に沖縄本島地方の中部に限られていて、八重山のお盆行事と言えば「アンガマ」ということになります。その「アンガマ」の際に「座開き」として唄われるのが、この「無蔵念仏節」と「無蔵念仏口説」です。
もともとはヤマトで生まれた念仏歌が沖縄に伝わり、唄われていたそうですが、それを登野城(石垣島)の役人であった宮良善勝が首里に出仕した際(1800年)に覚え、八重山に伝えたものだそうです。そういえば歌詞も「ウチナー口(ぐち)」、「ヤイマ口(ぐち)」ではなく、「ヤマト口(ぐち)」がベースになっているようですね。

[無蔵念仏節]

親ぬヨー 御恩は深きむぬ
父御ぬ御恩は山高さ 母御の御恩は海深さ

山ぬ高さやさわかりん 海ぬ深さやさわかりる
昼や父御の足が上

扇ぬ風にあおがりてぃ 夜や母御の懐に
十重も二十重も 衣裳が内

親の御恩は深いもの
父の恩は山のように高く 母の恩も海のように深い

山の高さは測ることが出来る 海の深さも測ることが出来る
(でも父母の恩は測ることが出来ない)
昼は父親の膝の上に寝かせられて

扇子の風で扇いでもらい 夜は母親の懐に抱かれて
十重二十重の着物にくるまれている

[無蔵念仏口説]



すぬ夜ば墓屋に宿ばとり
すぬ夜の夜中 夢拝がでぃ
二人ぬ親ぬ拝まりてぃ

とぅぶぎてぃ探りば 父もなし
寝ざまに探りば 母もなし
父呼び 母呼び 声すりば

声ある者や山ひびき
再びむぬに すかさりてぃ
くり程あさまし事はなし

その夜は墓守の家に宿を借りたところ
その夜の夜中 夢の中に
二人の親の姿を見た

飛び起きて探してみたが父の姿もない
母の姿もない
父を呼び 母を呼び 声を出して呼んだが

自分の声が山に響いて
その声に自分自身が騙されてしまった
これほど情けないことはない

「無蔵念仏口説」はこの後、五十八節まで続くとか(^_^;;。

アンガマの際には、この他にも「孝行念仏」「七月念仏」「園山念仏」 「親の御恩念仏」などの念仏歌が唄われるそうですが、この時期に八重山に行ったことがありませんので、私は聞いたことがありません。本来は、旧暦七月のお盆の時期以外には唄ってはいけない(ご先祖様が戸惑ってしまうから)と言われているくらいですから、単なる「民謡」というよりは、一種の宗教歌と言っても良いと思います。まあ、本当は「エイサー」も、現在のように、お盆でもない時期に県外で「エイサー公演」が行われるなんてのは、とんでもない事であって、お年寄りなどは嘆いているのかもしれませんが…。

さてそんな「無蔵念仏節」や「無蔵念仏口説」ですか、やや特殊な背景がある歌であるだけに、収録してあるCDの数もあまり多くはありません。ヤマトの我々が簡単に入手出来るものとしては、以下の2枚があるでしょう。(ただし、通事安京さんのCDに収められているのは「無蔵念仏節」のみです。)

【お勧めCD】

  CD名 歌手名 レコード会社 商品番号

伝(いやり) 大工哲弘 ディスクアカバナー ASCD-2010

沖縄の民謡8〜八重山古典民謡<1> 通事安京 キングレコード KICH-198

※追記

実は私は6年前(1998年)に、当時まだ62歳だった母を亡くしています。そして6年経った今(2004年)でも時々、母の夢を見ます。そんな私には、「無蔵念仏口説」の歌詞は他人事ではありません。

この歌は一般に親孝行の大切さを説いたものだ、と、教訓歌とか説教歌として理解されていますが、それだけではなくて、独りになった子供が、亡くした親を慕って唄うような気持ちも含まれているのではないでしょうか。頭ごなしに「親孝行しなさい」というような、押しつけがましいものではなくて、自分を大切に育ててくれた亡き父母のことを思い出しながら唄う、「父母を恋うる歌」なのではないのかな?と、私は勝手に考えています。

※追記2 (2008.02.17)

2008年の1月に、弊サイトの掲示板(ひま人の掲示)に書き込みをいただきまして、通事安京さんの「念仏口説」を収めたCDが販売されている事を教えていただきました。下記のCDで、「無慙念仏節」および「念仏口説」を聞くことが出来ます。

  CD名 歌手名 レコード会社 商品番号

八重山古典民謡集 通事安京 国際貿易 KOKU3-0036〜37

情報提供して下さいましたのは、実際に八重山古典の勉強をしていらっしゃって、ご自身も「ニンブチャーに以前から強い思い入れが」あると仰る、nube-maさん。ありがとうございましたm(_*_)m。

なお、八重山民謡の曲名や読み方の表記は、人により、CDにより、楽譜(工工四)により、必ずしも統一されていないのが現状です。
このページで採用している表記以外の表記も多いと思いますが、ご容赦下さい。

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