* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

素人の素人による素人のための八重山民謡ガイド・超番外[1]

復興節
(ふっこうぶし)

(2011.03.26up) 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

実際に先生に習っているわけでもありませんし、沢山の本を読んだわけでもないので、
本来、とても他人様に八重山民謡を解説できるほどの知識は持たない私ですが、
もちろん私よりももっと知らない人もいるわけで、そういう方のために、
私が知っている限りの知識で八重山民謡の紹介をします。
これから八重山民謡を聞いてみようという時に、少しは参考にしてもらえるとありがたいです。

でも所詮素人の聞きかじりなので、かなりの間違いや思い違いがあると思いますが、
そんな時は堪忍して下さいね。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

もはやこうなると、“八重山民謡”も“沖縄民謡”も、そもそも“沖縄”とも何の関係もありませんが(苦笑)、こんな時期ですので、是非ご紹介したいと思います。たいへんな“力”のある歌です。

[歌詞]

家(うち)は焼けても 江戸つ子の
意気は消えない見ておくれ アラマ オヤマ
忽ち(たちまち)並んだ バラックに
夜は寝ながらお月さま眺めて エーゾエーゾ
帝都復興 エーゾエーゾ

嬶(かかあ)が亭主に言ふやうは
お前さんしつかりしておくれ アラマ オヤマ
「今川焼」さへ「復興焼」と
改名してるぢやないかお前さんもしつかりして エーゾエーゾ
亭主復興 エーゾエーゾ

騒ぎの最中(さなか)に生まれた子供
つけた名前が震太郎 アラマ オヤマ
震地に震作 シン子に復子
其の子が大きくなりや地震も話の種 エーゾエーゾ
帝都復興 エーゾエーゾ

学校へ行くにもお供をつれた
お嬢さんがゆであづきを開業し アラマ オヤマ
はづかし相(そう)にさし出せば
お客が恐縮しておじぎをして受け取る エーゾエーゾ
帝都復興 エーゾエーゾ

ツンとすまして居た事も
夢と消えたる奥様が アラマ オヤマ
顔の色さえ真っ黒け
配給米が欲しさに押したり押されたり エーゾエーゾ
その意気 その意気 エーゾ エーゾ

 ※歌詞はこのほかにも沢山あります。

もともとは1923年(大正12年)に、『東京節(パイノパイノパイ)』などで知られる“演歌師”の添田さつき(=添田知道=添田唖蝉坊の息子)が作り、関東大震災の後の人々を励ました歌ですが、特に近年では、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の後に、日本のロックバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」が、「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」の名義で被災地を回り、この歌を歌って神戸の人々の復興を励ましたことで有名になりました。

この歌については、その誕生の背景について、作者自身が以下のように書き残しています。
(『演歌の明治大正史』添田知道・岩波新書・1963)

−ここから引用−

… 焼けあとの野天に、にわか商売のすいとん屋、うであずき屋が現れていたり、やがて道ばたの人だかりをのぞいてみると、震災被害の写真エハガキを売るのであったりするようになった。焼野原に焼けトタンの小屋もふえたが、新材のバラックも建ちはじめ、生皮つきの杉丸太が一本二円、トタン板一枚が三円だった。そうした材料を売る者もまだ自分のバラックなしの野天の商いだった。が、そんな灰燼の中の動きは、復興の意気というより、大地にしがみつく人間の必死の姿と映った。

−(中略)−

… 近くへ演歌に出てみたときのことだ。日暮里の焼亡をのがれた地区とはいえ、夜は暗く死んだように沈みかえっている。そんな中で歌声をあげたりしたら、袋だたきにでもあうのではないか、そんな不安があった。とある横丁でうたいはじめると、忽ち、暗い家々からとび出してきた人々にかこまれた。しかしそれは、不安とは逆な、熱心に聞き入る人々であった。勢い歌う方にも身が入る。大歓迎で、持って出た百部の唄本がすぐに売切れて、妙な拍子ぬけをした。 
 そして、どんな深沈の中でも、人々は音をもとめている、ということを知った。…

−引用ここまで−

上記の歌詞の前半は震災から立ち上がる逞しい庶民の姿を活写したものですが、それだけでなく、後半の歌詞は、震災によって当時の日本の社会構造が大きく変化していくことを、いちはやく予感したものだったのではないかと思います。

そして2011年3月、いま、私たちの社会は三度、この歌の力を必要とする状況を迎えました。

今回の東北・関東の震災では、今はまだ被害の確定も出来ず、復興に向けた動きも本格的なものとはなっていませんが、私たちは関東大震災から立ち直り、戦後の焼け跡を復興し、阪神淡路の震災にもくじけることのなかった先人たちを見習い、今回の震災を、より多くの人がより心豊かに過ごせる、本当の意味でより良い社会にして行くための契機にしなければなりません。この歌がそのために働く人々に、新しく、大きな力を与えてくれることを祈ります。

【お勧めCD】

『復興節』に関しては、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの歌唱を、YouTubeなどで簡単にお聞きいただくことが出来ますので、是非お聞き下さい。私がこの歌を知るきっかけとなった大工哲弘のバージョンも含めて、ご紹介しておきます。
(ただし、ソウル・フラワーのバージョンの歌詞は、上でご紹介したものとは後半が若干異なり、新たに阪神復興を歌い込んだものとなっています。ソウル・フラワーのバージョンに関しては、それがメジャーレーベルからの発売を許されなかった経緯を含めて、語るべき話も沢山あるのですが、今回の趣旨とは外れますので、ご興味のある方はご自分でお調べ下さい。)

  CD名 歌手名 レコード会社 商品番号
ジンターナショナル 大工哲弘 オフノート ON-12
アジール・チンドン ソウル・フラワー・モノノケ・サミット リスペクトレコード RES-6

 ソウル・フラワーの皆さんはまた今回も、きっと、チンドンや三線を抱えて、陸奥に向かわれるのでしょうね。

なお、八重山民謡の曲名や読み方の表記は、人により、CDにより、楽譜(工工四)により、必ずしも統一されていないのが現状です。
このページで採用している表記以外の表記も多いと思いますが、ご容赦下さい。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「三線寝太郎」トップに戻る
「放蕩息子の半可通信」トップに戻る

◇ ご意見・ご質問・ご批判等は掲示板、またはこちらまで ◇