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駄作の蛇足
(幸福の兵士)
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いわゆる「野ざらし」になった人の骨を見たことがあります。 当時から既に有名な観光コースではあって、沢山の観光客が訪れていたのですが、私を案内してくれた姉の友人(当時琉球大学の潜水部に所属)が、 その場所は、多くの観光客が往来する表側の道から外れた森の中、踏み固められた道を外れて、崖を少し上ったところにありました。森の木々の枝越しに、すぐ頭の上で観光客の女の子たちの笑い声が聞こえていました。岩肌が少しえぐれて、小さな裂け目のようになったところに、白い骨がいくつか、ひっそりと息づいていました。 私が見たものは別に日本軍の兵士の骸骨ではありません。かつての琉球の、庶民の風葬の跡だったのですが、岩陰の薄暗がりの中に浮かび上がる白い骨を見て、私は「良いなあ。」と思いました。私が死んだら、暗い土の中に埋めるのではなくて、このようにして葬って欲しいものだ。とも思いました。 それから何年か経って、大学を出て自分でお金を稼ぐようになり、海外までダイビングに行くようになりました。そしてある時、ベラウ共和国(パラオ)のペリリューという島の近海まで、ダイビングに出かけた事がありました。そこは現在では全く無人のジャングルに等しい静かな場所であったのですが、太平洋戦争の末期には、日本軍の守備隊と米軍との間で激しい戦闘が行われ、1万人以上の日本兵が玉砕を遂げた島なのでした。 ダイビングの合間の休憩時、無人の島の林の中に散歩に分け入った私には、私の踏みしめる小枝や枯れ葉の音と、波と、風の音以外には何も聞こえないようなこの南の島に、なぜわざわざ遠くから人々がやってきて、殺し合いをしなければならなかったのか。それがどうにも分かりませんでした。もちろん、日本本土まで軍隊を薦めるための補給だの何だのかんだの、難しい事を言われれば「ああ、そうですか。」とお答えする事は出来るのですが、あまりに美しくて、静かな、そして明るい、ペリリューの森の中に居ると、それらは全て机の上で考え出された、こじつけにしか思えないのでした。 これらの2つの体験が、今回のお話の土台になっています。 |
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